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2005年6月29日

赤い疾風「背番号2」

かつてカープで「赤い疾風」と呼ばれて、絶大な人気を誇った高橋慶彦氏。
地方球団にあって当時では唯一の全国区で通用する人気選手じゃった。
低い姿勢で腕を大きく振って塁間を疾走するヨシヒコの姿には他の選手には
ない華麗さがあった。盗塁を決め続けるヨシヒコは、地味なカープの中で際
立った人気で、甘いマスクで特に女性人気はすさまじく、ショートに打球が
飛ぶたびに、球場に「キャ~、ヨシヒコさ~ん。」「ヨシヒコさんが捕ったぁ!!」と
黄色い声援がこだましとったわ。でも捕球は雑じゃったけど…(笑)
ヨシヒコの最大の魅力は3度もタイトルを獲った盗塁だが「70盗塁+20本塁打」
を2度も記録していて長打力もある赤ヘル打線の牽引約だった事が伺える。
「練習の虫」と言われるほどの努力家でスイッチヒッターの才能を、開花させ
て、達成した「33試合連続試合安打」の日本記録は今だに破られていない偉大
な記録だ。ヨシヒコほどの俊足の打者であれば、安易にバント安打を狙って記
録を延ばそうとしそうなものだが、一切バント安打を狙うことは無かったという。
世界の安打製造機のイチローにも破れない、連続安打記録は偉大な記録じゃ
と思う。まさに広島黄金時代の走る野球の代表的な選手じゃった。
赤い疾風「背番号2」

先日、野村謙二郎選手が通算2000本安打
を達成しましたが放出されてなければ、確実に
ヨシヒコが山本浩、衣笠に次いで3人目の偉業
を達成していたに違いない。しかし'87年のペナ
ント開幕2日前にセッティングされた「激励会」
を開幕前の重要な時にと抗議したものの、球
団側に受け入れられずに本当にボイコットして
しまった事で、結局開幕2週間の謹慎処分を
受けることになり。この「郵便貯金ホール事件」
がもとで、球団との確執決定的となりその後
トレードに出されてしまった。(T_T)
代わりにきた高沢は翌年のシーズン途中に
ロッテに帰って行く。理解不能のトレードじゃっ
た。中日に行った長嶋の代わりに広島の、一員
となって外野のレギュラーとして活躍していた音
も、数年後に中日に変換された。この頃のカープ
はファンに納得のいかないトレードを連発してくれる。(怒)

ヨシヒコの通算安打数は1826本で、ロッテ、阪神とチームを渡り歩く事にな
るが広島を出た後は、わずか 85本しか安打数を上乗せできていない。
引退する年のオープン戦ではタレントの山田雅人が投げた速球がヨシヒコの
腕に当たり、運悪く骨折、そのシーズンを棒に振りオフに引退…。と、笑えな
い結末を迎えている。実際に映像は見たことが無いが、どうしてヨシヒコほど
の名選手が素人の投げた球が避けれなかったのだろうか…?(謎)

しかし先日の交流戦で久しぶりにヨシヒコのユニフォーム姿を見かけた。
ロッテのユニフォームを着て、走塁コーチとして一塁のコーチャーズボックス
に立っていた。気になって調べてみると、ヨシヒコの就任した今年のロッテの
盗塁数は前年までと比較して劇的に増加している。

「走れ!千葉ロッテ」~高橋慶彦の挑戦~
この Number のコラムを読んで見るまでも無くヨシヒコの功績は大きいのでは
無いかと感じる。かつてカープ黄金時代の、走る野球を支えていたヨシヒコも
正田も他球団でコーチをして名をあげている。他にも水谷実雄、達川光男など
OBが高い評価を受けている。一方でカープには仲良しグループで形成された
スタッフで、他球団出身の優秀なコーチが見当たらない。投壊を判で押したよ
うに毎年繰り返すのに川端氏は何故コーチで居すわっているのか、監督と同じ
法大出身だからナノか…?やはり性格の良い監督に人脈が無いのか…?

高橋慶彦 公式サイト
を見てみると広島時代のユニフォーム姿が目に飛び込んできた。まだヨシヒコ
自身が、カープへの愛情が薄れていない事が伝わってくる。
他球団を渡り歩いき、挫折を経験して、コーチとして成果を残している。
ヨシヒコなら下位に低迷しているカープを変えてくれそうな気がする。

上記の Number のコラムで「…今年うちのチームが、積極的な走塁をするのも
野球本来の姿を取り戻したいからだしね。やっぱり“打つ”だけが野球の姿じゃ
ないと思うから…」とコメントをしている。

恒文社から出版されているヨシヒコの著書[赤い疾風 背番号2]の巻末に球団や
ベンチとの確執報道に触れている。「巨人、大鵬、玉子焼き」が嫌いで広島が
好きで、広島まで来たのに誤解ですよ。有ること無いことを新聞記者が面白く
書いているだけ。と否定しています。

もう一度「赤い疾風」を広島に呼び戻す
ことはできないのか?

“打つ”だけの広島野球を変えてくれ!
なにか新しい風を吹き込んでくれそうな期待を抱かずにはいられない。
ウルトラC技の、スタッフ一新してヨシヒコ監督でも良いよ…(ぼっけぇ笑)

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コメント[3]

高橋慶彦。我々30代後半(終盤?)の世代にとっては、(カープファンではないのですが)非常に懐かしい名前です。
先日、交流戦の千葉ロッテ戦の券が手に入った(ちなみにロッテファンでもない)ので、父親と見に行ったのですが、ロッテの1塁コーチャーに1塁側のカープ応援団のおじさんが声を掛けていたんですね。
高橋慶彦がロッテのコーチをしてるなんて知らなかったので、最初誰だろーと思ったんですが、よく見たら、アラびっくり!慶彦じゃん。
後で、父親にその話をすると、ちょうど連続安打の新記録を達成した試合を見に行っていたようで、その頃(1979年頃)の慶彦はほんまに凄い選手だったと、思い出すように話してくれました。
2000本安打を達成していないなんて、意外ですよね。

TBどうもです。
幼い頃にはじめて好きになった野球選手がヨシヒコでした。ヨシヒコに憧れて野球を始め、当然のように俊足両打ちの1番ショートを目指しました。あのバッティングフォームもマネしましたけど、いちばんマネしたのはユニフォームに隠れるストッキングの見え加減でしたね。あの微妙な三角部分が最高にかっこよかったんですよ。


§たませぶんさん(お久しぶりですね♪)

いらっしゃいませ。交流戦を観戦してこられたのですか…。
いいですねぇ。もっと通って市民球場を満員にして下さいね(笑)
33試合目の試合は初回の第一打席であっさり記録を達成していますが
そのあと2回の守備でランナーと交錯して負傷退場(その後数試合欠場)
していますので、まさに神がかり的な記録だと言えますよね。

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§Team Sonokawa Webさん(はじめましてぇ♪)

わいも野球を本格的にしていたわけでは無いですが、公園で子供の頃は
クネクネしたヨシヒコ打法、真っ直ぐに立ったバットがヘルメットに当
たっててフルスイングの衣笠打法、バットのヘッドがピッチャーに向い
ている水谷打法など真似たものです…。懐かしいですね。(にんまり)
特に右打席のヨシヒコは背中を丸めた姿勢で足を力一杯上げるので膝が
顎に付きそうな勢いでしたよね。(笑)

御両人とも今後とも宜しくお願い致します。m(_._)m

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