『金烏城』を見てきた。
先日の、「鯉城」の写真を整理しながら娘に話して聞かせてたら…。
guwaっちの着てる甲冑や、刀などに興味を示したので一昨日の午後から
ふら~りと、「岡山城」に行ってきました。ヾ(〃^∇^)ノ♪
この城を建てたのは若き宇喜多秀家です。
秀吉末期には豊臣五大老の一人として家康と対決することになりますが、
わずか8歳のときに秀吉に人質として出され、その後に秀吉の養子となり、
秀吉の寵愛を一身にうけて我が子のようにそだてられる秀家。
彼が秀吉の養女で前田利家の娘、豪姫と縁組みをする際に、秀家と豪姫を
溺愛していた秀吉が、一流の職人を送って建てさせました。
その職人は信長の「安土城」を築城した匠だと伝えられ3層6階の天守閣は、
全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台をしています。
しかも、秀吉は大阪城と同じように岡山城にだけ金箔を許しました。
黒い下見板張りの外観から別名「烏城 (うじょう)」の名で親しまれ、
金の鯱を挙げていたと伝えられ、「金烏城 (きんうじょう)」との別名もあります。
近県の「白鷺城 (しらさぎじょう)」と呼ばれる「姫路城」と対比される
ことも多いのですが、知名度は完全に「姫路城」のほうが勝ってますね♪
しか~し、太平洋戦争前には国宝であったこの天守閣は惜しくも昭和20年の
空襲で消失。現在の天守閣は昭和41年に復元されたものです。
復元された天守閣に入ると、冷房の効いた鉄筋コンクリートの建物じゃった。
どうせ復元するなら、中まで頑張って欲しかったものですわ。
エレベータまで付いてます、センス無さ過ぎじゃね。( ̄□ ̄;)!!
空襲で城が焼け落ちた時に、貴重な資料も焼けてしまったのでしょうが…。
展示の資料の内容にも、ガッカリじゃった。
洋学塾「適塾」で福澤諭吉を育てた蘭方医「緒方洪庵」の特別展が催されて
いましたが、お城に付き物の、甲冑や槍、刀など展示されて無いじゃん!!
五階の窓から見える、金の鯱はコミカルな表情ですわ。〇(≧∇≦)〇
そして最上階の展望室まで攻め上ると、岡山市街を一望♪
そして、岡山城に隣接する「後楽園」を見下ろすことができます。
写真取り忘れました…。(;^_^A
雪の兼六園(石川)、花の偕楽園(水戸)、月の後楽園(岡山)と
この3つが、日本三名園と呼ばれています。
後楽園は、お殿さまの庭だったんですね。
ちょうど今夜は、「中秋の名月」だとか?
園内の池に反射した綺麗な月を眺めて楽しんだのでしょうねぇ~。ヾ( 〃∇〃)ツ
帰宅後に晩御飯を食べてると娘が寄ってきて…。
「お父さん、あとで一緒にお団子、食べようねぇ~♪」
ほぉ~い。
すでにビールを空けたんじゃけど、お団子に託つけて「缶チューハイ 500ml」を
また飲んだぁ~! ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ってコーイ!
夜空にはとっても綺麗な、お月さまが浮かんでいましたよ。ヾ(〃^∇^)ノ♪
左側が少し欠けてるけどね。
朝晩は蒸し暑さも、緩和されて少し秋らしくなってきた鴨~?
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