アイルトン・セナ・ダ・シルバ
5月1日、ブラジルでは「交通安全の日」に制定されているそうです。
そうです、『音速の貴公子』が、伝説となった日です。
ヒーローは死なない…。
そんな子供のような幻想が、ガラガラと音を立てて崩れていったあの日。
普段と同じようにF1中継を観ようとTVを付けていたら…。
中継の直前のニュースで、セナが事故で重体だという情報が流れた。
F1中継の冒頭から、解説陣の三宅アナ、今宮さん、川井ちゃんの三人の
沈痛な表情でセナの事故に付いて必死に語っていた…。
三宅アナ、今宮さんは涙で目を真っ赤にして感情を抑えることができず
なかなか言葉が、出てこない。川井ちゃんも唇をグッと噛みしめてる…。
あの異常な雰囲気の中継から、もう13年です。
まさに呪われた週末…。
カーボンモノコックの強度の高さからF1で死亡事故なんて起きないなんて
言われてたにも関わらず、ルーベンス・バリチェロが大クラッシュで鼻の骨を
骨折する大怪我、翌日にはローランド・ラッツェンバーガーが事故死。
そして、さらに偉大なドライバーが天国へ召されました。
大好きなヒーローが他界したことを、受け入れることができずに
心の底に広がっている果てしない虚しさや空虚感から…。
その後、数年間のしばらくの間、F1中継が観れなくなってしまいました。
もちろんヒーローには、アンチが付きもので…。
セナのことを「日本のマスコミの造った虚像だ」なんて言いますが、
本当にそうでしょうか?
最強王者と言われた、ミハエル・シューマッハが 2000年のイタリアGPで
勝ってセナの通算41勝の記録に並んだ時の、優勝インタビューで感極まって
「カートに乗っていた頃からセナは僕のアイドルだった」と涙しました。
公の場で涙することの無かったシューマッハだけに驚きました。
きっと姿の見えないセナの背中を必死に追いかけていたのでしょう…。
サイボーグだなんて言われていたけど、プレッシャーは凄かったのでしょう。
2002年の走行中の琢磨の横から、ニック・ハイドフェルドがスピンして滑って
突っ込んできて激しいクラッシュ。2台ともコースアウトして、
ヘリコプターで医療機関に運ばれてから容態が発表されるまでの時間は、
どれだけ不安な気持ちになった事か…。
二度とあのような、辛く悲しい事故は起こって欲しくないものです。
アイルトン・セナ 永遠に…。
どこか脆さも併せ持っていた一方で、最後まで諦めない強い信念を持って、
勝ちにこだわったアイルトン・セナの生きざまから多くのことを学んだ…。
最後の事故のシーンでも、最後の最後まで諦めることなくマシンの体勢を
整える努力をしていたとか…。
やっぱり、ヒーローは死なない。
永遠のヒーローの姿は、心に深く刻まれてまだ生き続けています。
§過去のアイルトン・セナ関連のエントリ
・セナの思い出…。[2005-06-03]
・セナ裁判に終止符…。[2005-06-01]
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